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7/20 礼拝メッセージ「慰め主なる神、聖霊」

 「聖霊」とはどのような存在か?歴史的に議論の中心は「聖霊は神か、神の

力にすぎないのか」という点でした。それまでのユダヤ教的な理解では、創世

記に見られるような、「神の息」として理解されていました。ヘブライ語で「ル

アハ」といい、これは「風」や「霊」をも意味する言葉です。しかし主イエス

様は「父は別の弁護者を遣わして永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてく

ださる。この方は真理の霊である」(ヨハネ14:16-17)と聖霊を「弁護者」「こ

の方は真理の霊」と呼び、単なる力以上の存在であることを示されました。 

私たちカンバーランド長老教会の信仰告白では 4.02「聖霊は、聖書、聖礼典、

契約共同体の共同の礼拝を通して、又キリスト者の言葉と業の証しを通して、

あるいは人間の理解を超えた仕方で働いておられる」と記しています。つまり、

聖霊の働きというのは、使徒言行録で弟子たちに降った華々しい形だけではな

く、礼拝を守る私たちに静かに働いているということなのです。パウロが「聖

霊によらなければだれも『イエスは主である』とは言えない」(1 コリント 12:

3)と言っているようにイエス様を主と告白する人の内には聖霊なる神様が働い

ておられるのです。 

 

 そして何より、聖霊は慰め主だということです。私たちは確かに主イエス様

の十字架の死によって完全に罪赦されました。しかし、私たちは再び罪を犯し

てしまうのです。信仰が揺らいでしまうのです。なぜなら神が生きておられる

ように、悪魔も生きて今も私たちを神様の救いに与らせないようにしているか

らです。悪魔は様々な方法で私たちが神様に疑いを持つように仕向けます。神

様がいなくても大丈夫と思わせようとします。そんな時に、私たちの内に宿っ

て下さっている聖霊なる神様が慰め、守ってくださるのです。ただし、私たち

の願望をそのまま聖霊の導きと考えるのは危険です。それは聖霊を自分の道具

にしてしまっているからです。それは大きな誤りです。信仰の友の言葉に耳を

傾け、独りよがりの信仰にならないよう気を付ける者でありたい。