· 

8/17 礼拝メッセージ「詩編を味わう③嘆きは希望に」

 詩編は聖書の中で、神様と私たちの人生を直接結び付ける特別なものですが、2

2編は神様に見放されたと思うぐらいの絶望をこの詩の作者は訴えるところから始

まっています。「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。

…」この「なぜ見捨てるのか」は主イエス様も十字架の上で、叫ばれた言葉でした。

私たちも祈っても祈っても何も与えられない不安。いつまで続くか分からない不安。

そんな時「なぜですか」「どうしてですか」と叫ばずにはおられないのです。 

 

 しかし、この詩の作者はイスラエルの救いの歴史を思い起こすのです。救われて

きたこれまでがある。事実がある。私は全く生きる意味を見出せなくなった時、救

われたのです。今も救われ続けているのです。 

 

 詩編22編は、驚くほど主の十字架の出来事を描いています。ですから、この2

2編はメシア詩編と呼ばれることもあります。そしてこの詩編の作者は主イエス様

の十字架の贖いを知っていたかのようにこの言葉を境に大きくその舵を切り、神様

に信頼し、賛美の言葉を語ります。「わたしは兄弟たちに御名を語り伝え集会の中

であなたを賛美します。主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。…助けを求める叫び

を聞いてくださいます。」と。私たちも主イエス様の十字架によって罪が清められ、

救われました。嘆きは希望へと、悲しみは喜びへと変えられるのです。さらに詩編

の作者は「地の果てまで/すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り/国々の民

が御前にひれ伏しますように。王権は主にあり、主は国々を治められます。…子

孫は神に仕え/主のことを来るべき代に語り伝え/成し遂げてくださった恵みの

御業を/民の末に告げ知らせるでしょう。」私たちに託された最大の使命、それは

主を語り伝えることなのです。 

 

 戦後80年、今もウクライナやガザで続く戦争の悲惨さを目にする時、そしてそ

れを自分に利するように利用する国々があることを目にする時、人間の罪の深さが

浮き彫りになります。しかし今日与えられた詩編22編は告げます。罪と死に勝利

した方がいる。その方はあなたのために「なぜ」と叫び、そして「しかし」と賛美

されたのです。この国と世界に、平和と福音をもたらす使命を担って、世界中で今

も続く悲惨な戦争を終わらせるために、わたしたちは祈り続けましょう。