詩編110編は「王の詩編」とも呼ばれ、王の即位・統治・勝利・祈り・祝福などに
関連した内容になっています。またヘブライ人の手紙に特別な大祭司メルキゼデク
とイエス様を重ね合わせる際に引用されるなど特別な詩編であるといえます。
ただこの詩編はもともと、ダビデ王に献げられた詩だと思うのです。そう読めば 1
節の最初に出てくる我が主は、ダビデを表し、そのダビデに主なる神が異邦人との
戦いの勝利を約束し、創世記 14:18-に登場するエルサレムの王であり祭司でもあっ
たメルキゼデクにダビデを重ねて王と祭司しての素晴らしさを歌った、この詩編の
作者の意図が理解できるのです。しかし時代の変遷の中でイスラエルの民は救世主
を待望するようになり、この詩がダビデが作ったものと解釈される中で、この詩の
性格がメシアを預言するものへと変わり、さらにイエス様の弟子たちはイエス様を
神と人との間に立つ大祭司と理解する根拠となっていったのです。
ただしイエス様を信じないユダヤ教徒の人が読めば、アブラハムやモーセに約束
された乳と蜜が流れるカナンの地を得るための戦争も正当化され、イスラエル軍が
今ガザ地区で行っている残虐なことを正当化するような言葉に読めてしまうのです。
そしてそれがあたかも神のご計画とイスラエルを支持するクリスチャンもいます。
詩編は礼拝の中で歌われた歌でした。私たちは歌に支えられてきました。しかし
時に歌は凶器にもなるのです。今戦っているイスラエルの軍隊の人々もまた、自ら
の正当性を聖書の言葉を根拠にしている人も多いのでしょう。
だからこそ、旧約聖書だけではだめなのです。「互いに愛し合いなさい」と語られ
たイエス・キリストの福音が必要なのです。そして「怒りの日に王たちを砕き、諸
国を裁く」とあるように、力を誇り、非道をなす国々や人々に最終的には神の正義
が実現されるということを私たちも心に留めなければなりません。第2次世界大戦か
ら 80 年が経ち、戦争の悲惨さを忘れ、勇ましい言葉で過去の栄光を取り戻そうと
人々をあおる者が現れ、ヘイトスピーチが横行し、人々をだますことが日常のこと
となった日本やこの世界にあっても、私たちの王であり大祭司でもあるイエス・キ
リストは、絶えず私たちのために介入し、支配され、平和と希望を与えてください
ます。そのことを信じてこの1週間歩んでまいりましょう。
