今、政治や社会のあちこちで「やりなおし」とか「出直し」が求められてい
ます。渋沢駅周辺もシャッターを閉めたお店が多くなり、だいぶさびれてしま
いました。渋沢教会も2027年に70周年を迎えますが、教会も同じ信仰継
承者不足は深刻です。神様に信頼するという信仰と共に、これまで通りとはい
かないという前提で、見直しが迫られています。そのためには、考え方を変え
なければならないのです。2000 年前、できたばかりのコリントの教会はパウロ
という偉大な教師が去った後、分裂の危機にさらされてしまうのです。
どうしても人には好き嫌いや性格の違いがあります。性格や考え方や視点な
ど同じような人同士の方が気が合うし話しやすいのです。今起きている社会の
分断という問題は、ある一定の人々の絆が強まりすぎて、他を排除することか
ら生まれます。パウロは約2年のコリントでの生活の中で、イエス様こそメシア
であると伝道しました。しかしたった2年ですから細かなことは教えられなかっ
たし、ユダヤ教の律法に関しては、彼は深く学んでいましたが、そこから自由
にされたと感じていたパウロにとっては、主イエス・キリストを信じる以外は
重要でなかったのです。そこにユダヤ教の教えや習慣を語る人や、弁舌さわや
かに福音を語る人などが現れて、生まれたての教会は、教会本来の愛に満ちた
場所ではなく、相手をののしり合うような教会になってしまったのです。
パウロは言います。「キリストは幾つにも分けられてしまったのですか」
(1:13)と。何より一致の鍵は、どのグループに属するかではありません。キ
リストの十字架です。彼が私たちすべてのために命を捧げられた。これが、共
に立つ土台です。詩編 133 編は歌います。「見よ、兄弟が共に座っている。なん
という恵み、なんという喜び」と。一致は、人間の努力ではなく、恵みです。
「許すのは無理だ」と思う時も、主の十字架が示します。「あなたも赦された、
だから赦し合える。」と。一致は奇跡ではなく、神が今も働かれる恵みのしるし
です。だから「もう一度やり直そうよ」と言えるのです。家族、友人、同僚と
の間でも一致の道は、神の恵みによって今日も開かれています。
