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9/21 礼拝メッセージ「聖なる者の叫びが、聖ならざる者の叫びを呼び覚ます」

 「『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てにな

ったのですか』という意味である」と聖書にあります。この言葉を聴いた当時の人々は

詩編22編2節の祈りそのものであることをすぐに理解できたに違いありません。この

言葉の中に、「見捨てないでください神様」さらに言うならば「私の神よ!助けて下さ

い」という叫びを聞き取ることが出来るのです。 

 

 『「助けて」と言おう』という本があります。北九州ホームレス支援機構理事であり牧

師の奥田智之(ともし)さんは、「『助けて』となかなか言えない。甘えているのではな

いかという自己責任論の落とし子のような存在だ。『助けて』という言葉が言えないのが

問題だ。私たちは神様に『助けてください』と言っていい。」それはイエス・キリストの

救いを信じて「助けて」と言うことだと書いてありました。自分で頑張るしかない。ど

うにもならない。しかし、この世の中には助けてくれる方がおられるのだ。「助けてと言

えた日が助かった日だった」と、あるホームレスの方の言葉を書いておられます。 

 

 キリストは見捨てられ、私たちも見捨て、見捨てられ、キリストと共に「わが神、わ

が神」と私たちも叫ぶ。罪のただ中で昼は夜のように暗くなるのです。神の怒りが昼間

を闇にされるのです。その見捨てられた者を、神はキリストと共に私たちをも復活させ

られるのです。私達もイエス様と共に人生という受難と死を経て、三日目に復活するか

らです。54節の百人隊長がつぶやく「まことに、この人は神の子だった」は心から恐れ

て言った言葉なのか、馬鹿にして言った言葉なのでしょうか。十字架の周りにいた人々

の、百人隊長の、聖ならざる者の心の叫びです。絞り出すような、発狂してしまうよう

な心の叫びです。 

 

 イエス様の聖なる者の叫びが、聖ならざる者の叫びを呼び覚ますのです。「十字架に付

けろ、十字架に付けろ」この大声で叫んでいるのは私たちなのです。しかし、イエス様

は私たち人間と同じ痛み苦しみを負い、十字架にかかられました。私たちと同じ痛みと

苦しみを担ってくださったのです。私たちは十字架を見上げ、十字架で叫ばれる声を聞

くのです。隊長や、その周りにいた人々と共にその声を今聞くのです。その聖なる方の

叫びは、聖ならざる者の叫びを呼び覚ますのです。聖なる方の声を、今聞くのです。