コリントの信徒への手紙Ⅰ2章は、パウロが「神の愚かさは人よりも賢く、
神の弱さは人よりも強い」(1:25)という真理を、自らの伝道経験を通して語る
箇所です。彼は紀元 50 年ごろ、商業都市コリントに滞在し、神の「秘められた
計画」を語りましたが、「優れた言葉や知恵」を用いませんでした(2:1)。当時
のコリントでは雄弁術や哲学的議論が重んじられ、人々は「知恵」を誇ってい
ましたが、パウロは「神の知恵であるキリスト」を伝えることを選びました。
なぜなら、彼は直前のアテネ伝道で修辞学的・哲学的に説得しようと試みて失
敗したからです(使徒17章)。その失敗の中で、主が「恐れるな。語り続けよ。
わたしがあなたと共にいる」と励まし、パウロは「神の力」に信頼して語る決
意を新たにしたのです。
パウロの言う「神の秘められた計画(ミュステリオン)」とは、十字架のキリ
ストにおいて実現した救いの福音です。これは「神のしるし」「キリストの証し」
と同義であり、人間の知恵では到底理解できない神の愛の計画です。人は「わ
かりやすさ」「力」「説得力」を求めますが、それはしばしば虚偽を含み、表面
的な力に過ぎません。現代社会でも、政治家やリーダーたちは人の知恵や力を
誇り、強い言葉で人々を惹きつけますが、パウロは「弱さのうちに」(2:3)語
り、十字架につけられたキリストをこそ神の力として示したのです。十字架は
人間の目には愚かで無力に見えますが、そこにこそ真の知恵と救いの力があり
ます。救いは人の努力ではなく、神の恵みによって与えられるものなのです。
この神の知恵を理解するのは、理性や論理ではなく、聖霊の働きによります。
フィリピ2章が語るように、キリストは神の身分でありながら自らを無にし、十
字架の死にまで従順でした。この心こそが「神の知恵」であり、信仰者に与え
られている恵みです。
私たちも日常の中でしばしば人間的知恵に頼り、結果や力に価値を置いてし
まいますが、弱さの中でこそ神の力が働くのです。論理や力に頼るのではなく、
聖霊に導かれ、キリストのへりくだりと愛の心に生きること。それこそが「神
の秘められた計画」に生きる者の姿なのです。
