渋沢教会は今年68周年を迎えました。ここまで私たちを導いて下さった神様に
感謝し、渋沢の地に信仰の種を蒔いた先人たちの思いに心馳せたい。
詩編116:1-11 の作者は、死の危機や悪意ある人々の企てという苦しみの中で、神
様の救いを見出したのでしょう。そのような救いを経験すると、人は強くなれま
す。たとえ大きな困難に遭遇しても、また結果がどのようになっても、災いを恐れ
ない強さや、しなやかさが与えられるのです。言い換えるならそれは希望です。今
年は、渋沢教会の創立メンバーの一人であり106歳最年長であったⅠ姉をはじめ、
先月は15歳という若さで天に召されたIさんとの別れなど、悲しく辛い出来事が続
きました。しかし私たちには、天国での再会という約束があります。
イエス様が、無実の罪で十字架刑にかけられようとした時、二人の罪人も十字架
刑に処せられようとしていました。しかし同じ苦しみを受けながら、彼らの心は対
照的でした。イエス様を「メシアではないか。自分と我々を救ってみろ」とののし
ったその人の心に、イエス様を本当にメシアと信じる気持ちはありません。自分の
最後の怒りや憎しみの感情をイエス様にぶつけているだけです。それに対してもう
一人の罪人は「この方は何も悪いことをしていない」とイエス様の無実を認め、そ
して「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してくださ
い」と願うのです。その言葉に主イエス様は「はっきり言っておくが、あなたは今
日私と一緒に楽園にいる」と、今日私と一緒に天国にいると約束してくださったの
です。この言葉はこの世での行いの善し悪しと天国に行くか否かは関係がないこと
を示しています。では、イエス様を救い主と告白しないで死んだ者や赤ん坊はどう
なるのでしょうか?聖書には「あなたが信じれば、あなたの家族も救われる」と書
かれています。イエス様を信じるあなたの切なる祈りを、また教会の祈りを主は聞
いていて下さると信じるのです。その祈りをするために、私たちは集っているので
す。主イエス様は、私たちの苦しみを共有するためにこの世に来られ、そしてその
痛みを十字架の上で担って下さいました。私たちが信じる神はこのように愛の神な
のです。主の前で、再会できるという希望を胸に、神様が喜ばれる生き方をしまし
ょう。そして彼らが愛したこの渋沢教会の歴史をこれからも紡いでいきましょう。
