ヨハネによる福音書4章23–24節は、来年の教会主題である「礼拝に生きる」を
示す大切な聖句であり、私たちがどのように礼拝へと生きるのかを問いかけてい
ます。イエス様は旅の途中、ユダヤ人が通常避けるサマリア地方をあえて通り、
ヤコブの井戸で一人のサマリアの女性と出会われました。昼の暑い時間に水を汲
みに来たこの女性は、人目を避けたい事情、つまり5度の結婚と現在共に暮らす
男性が夫と言えないという深い痛みと渇きを抱えていました。イエス様はそのす
べてを見抜き、「わたしが与える水は永遠の命に至る」「私を信じなさい。この山
でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。今がその時である。」と語
られました。彼女はその言葉を通してイエス様こそ求めていた救い主であること
に気づきます。そして恥を忘れて町へ走り、「私のすべてを言い当てた方がいる」
と人々に証ししました。その証しによって多くのサマリア人がイエス様を信じる
ようになったと聖書は語ります。
この物語は、礼拝とは建物や形式を超えて、心の深いところで神様に出会う出
来事であることを教えています。イエス様が示された「霊と真理をもって礼拝す
る」とは、生きた心をもって神様に向かい、「道・真理・命」であるイエス様を通
して神様とつながる生き方そのものです。私たちはしばしば形式など外形に目を
向けがちです。けれども神様がご覧になるのは心の向きです。旧約聖書ミカ書6章
8節の「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むこと」と
いう言葉こそ、霊と真理の礼拝の姿をよく表しています。
イエス様は今も、私たちの心の井戸のそばに立ち、「あなたの渇きを癒す」と語
っておられます。どんな弱さや傷を抱えていても、神様はそのまま受け入れてく
ださいます。形式や場所にとらわれず、心から神様に向かうとき、私たちは真の
礼拝へと招かれ、「礼拝に生きる」者として歩むことができるのです。
