ヘロデ大王の他にクリスマスの物語で嫌われる人物と言えば宿屋の主人でしょう。
クリスマス降誕劇では、ベツレヘムに着いた身重のマリアとヨセフが宿を求めても
断られ、仕方なく家畜小屋でイエス様が生まれたという物語が定番になっています。
しかし、聖書には宿屋の主人の存在は明記されておらず、東方の学者たちが3人だっ
たというような思い込み・誤解が含まれている可能性があります。ヨセフとマリア
は人口調査のために故郷に戻ったので、親戚の家に滞在した可能性もありますし、
聖書には「ベツレヘムにいるうちに」とあり、すでに滞在していた様子がうかがえ
ます。また「宿屋」と訳された言葉は「部屋」とも訳せます。つまり、出産できる
部屋がなかったため家畜小屋で生まれた可能性もあり、宿屋の主人が冷たかったと
は断定できません。さらに律法では出産は汚れに関わるため、宿屋の主人が律法を
守るため距離を取ったとも考えられます。
しかし、宿屋の主人がどうであれ、主イエスが家畜小屋でお生まれになったこと
に変わりはなく、それは私たち人に愛がなかったことを意味しているのです。あな
たがホテルのオーナーでお金もマイナンバーも在留許可証もない人を宿泊させるこ
とはできますか?主イエス様は、家畜小屋で生まれました。それは、人間が彼を受
け入れなかっただけでなく、主ご自身がそのことを望まれたのです。そのような人
間の悲惨な状況に主が立たれるためにです。そして戦火で家を失い、寒さ厳しい避
難所で生活している人々の辛さを主は知っておられます。主は難民だったからです。
日々の糧を得ることが、いかに難しいか主は知っておられます。彼は大工だったか
らです。病の苦しみを主は知っておられます。主は十字架につけられたからです。
私たちは、2000 年変わらず輝く光であるイエス様を知っています。この光は、人
生の混沌を導く羅針盤です。新しい一週間、従順な心で主の御降誕と再臨を待ち望
みつつ歩みたいと思います。
