結婚や離婚について聖書に書かれているパウロの答えを読む時は、時代や状
況の制約を考慮して読む必要があります。「召されたときの身分のままで歩みな
さい」という言葉も、奴隷制度の肯定だと受け取ってはならないのです。パウ
ロは、主が間もなく再び来られるという切迫した思いの中で伝道していました。
イエス様の十字架によって神の国の門が開かれ、永遠の命が与えられる。その
日が近いと信じていたからこそ、彼はまず現状にとどまることを勧めます。
しかし同時にパウロは、奴隷制度の現実の中で「仕える」ことの重みを誰よ
りも知っていました。キリストに仕えるとは、全存在をささげることでした。
コリントの教会には多様な立場の人々がいましたが、その違いのままで受け入
れられている姿こそ教会の理想でした。しかし人々は自由をはき違え、「キリス
トに仕える」本質を見失っていたのです。
出エジプト記で、モーセが羊飼いとして生活しているただ中で神様に呼ばれ
たように、神様は人生の途中にある私たちを招かれます。「変わりなさい」では
ない。「立派になりなさい」でもない。コリントの人々が問題にした割礼も、身
分も、パウロにとって本質ではないのです。だからパウロは、「変わりなさい」
ではなく、「そのままで神様の前に生きなさい」と語るのです。
そして何より、「あなたがたは代価を払って買い取られた」とパウロは告げま
す。神様の愛は条件付きではなく、イエス様はそのままの私たちを引き受けて
くださいました。「キリストに仕える者」として大切なのは、「イエス様だった
ら」そして「イエス様に従うものとして何をすべきか」を自らに問うこと。そ
れが「キリストに仕える者」として大切なことです。
