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3/8 礼拝メッセージ「あなたのコーチは誰?」

 コリントの信徒への手紙Ⅰ9章の前半では、使徒パウロが使徒としての権利を十分に認められていないことへの思いを語っている姿を見ました。パウロは約1年半コリントに滞在し、教会を建て上げました。それだけに教会の人々を深く愛しており、その分落胆も大きかったのです。しかし彼は、福音のために自分はその権利を用いなかったと語り、それこそが自分の誇りだと述べます。

 

 パウロは自分を「キリストの僕」、すなわち奴隷であると理解していました。奴隷は主人の命令に従うのが当然で、特別な報酬を求めることはありません。しかしその務めが意味ある名誉なものであれば、喜んで仕えることができます。主イエス様の「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」という言葉にパウロも従って生きていたのです。彼が目指していたのは、この世の報いではなく、神様から与えられる「朽ちない冠」、すなわち天の報酬でした。かつてキリスト者を迫害していた自分の罪が十字架によって赦された事、福音を伝える務めを与えられた事、そして永遠の命が約束されている事。これら全てが彼にとっての恵みであり、力の源でした。

 

 彼は「できるだけ多くの人を得るため」「何とかして何人かでも救うため」に、すべての人の奴隷となったと言います。ユダヤ人にはユダヤ人のように、律法を持たない人にはそのように、弱い人には弱い人のように。これは相手が福音を受け入れられるように自分を低くした姿勢です。自分の立場や誇りよりも、相手が救われることを優先したのです。

さらにパウロは、信仰生活を競技にたとえます。競技者が賞を得るために節制するように、信仰者も鍛錬が必要だと言うのです。朽ちない冠、すなわち神様からの永遠の命を得るためにです。そして選手にコーチがいるように、私たちの人生にも導く方が必要なのです。

 

 パウロは最後に、自分が失格者にならないようにと語ります。信仰は自動的に保たれるものではなく、日々の歩みだからです。しかし私たちのコーチである神様は、失敗しても見捨てる方ではありません。倒れても再び立ち上がらせてくださるお方です。その恵みに支えられながら、私たちも福音に共にあずかる者として歩み続けていくのです。