コリントの信徒への手紙Ⅰ 10:14~22は、「本物はどれだ」という問い
が語られています。私たちは日常の中で、本物か偽物かを見分ける場面に出会
います。ブランド品や料理の例のように、見た目が似ていても、本物とそうで
ないものには大きな違いがあります。その違いの本質は、手間や誠実さ、つま
り愛情にあると言えます。本物には人を思う心が込められていますが、偽物は
見せかけに過ぎません。このことは信仰にも当てはまります。
当時のコリントには多くの神々が存在し、人々は偶像にささげられた物を食
べていました。一見ただの習慣のようですが、パウロはそれが悪霊とつながる
行為だと警告します。問題は物そのものではなく、それによってどことつなが
るかです。出エジプト記32章では、戻らないモーセを見限り、イスラエルの
民が金の子牛を造り、神としました。彼らは神を捨てたつもりはなく、自分た
ちに都合のよい「神らしいもの」を作ったのです。ここに、人間が目に見える
ものや自分で支配できるものを神(偶像)としやすい弱さが表れています。
パウロは「主の杯」と「悪霊の杯」を同時に受けることはできないと語りま
す。聖餐はイエス様との真実な交わりであり、同時に偶像と関わることはでき
ません。現代においても、お金や成功、人の評価など、神様以上に頼るものは
偶像となり得ます。それは「誰とつながるか」という問題です。
人の手で安易に作られた「神様」があふれる中、本物の神様とは、私たちの
罪のために十字架にかかられたイエス様です。その愛により、私たちは命にあ
ずかり、互いに一つとされます。教会は弱さを抱えた者が神様につながる場所
です。「本物はどれだ」という問いは、今の私たちにも向けられています。形だ
けでなく、イエス様との真実なつながりに生きるよう招かれているのです。
