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3/29 礼拝メッセージ「すべての人を喜ばすために」

 この箇所でパウロは「私は、すべての人を喜ばせようとしている」と語りま

す。当時のコリントは多文化・多宗教の商業都市であり、偶像礼拝が日常生活

に深く入り込んでいました。市場の肉も神々に供えられたものが多く、「食べて

もよい」とする自由な人々と、良心が痛む人々との間に対立が生じていました。 

この問題に対し、パウロは単純な善悪の判断を示すのではなく、「すべてのこ

とは許されているが、すべてが益になるわけではない」と語ります。重要なの

は、それが人を生かすかどうかです。キリストにあって与えられた自由は、自

分のためではなく、他者の益のために用いるべきものです。「自分の利益ではな

く他人の利益を求めなさい」という言葉に、その本質が示されています。 

その文脈で語られる「すべての人を喜ばせる」とは、人に気に入られること

ではなく、相手が神様に向かって生きることができるように仕えることを意味

します。パウロは自らの自由や権利をあえて制限し、多くの人が救われること

を願いました。これは箴言にあるように、神様の前に誠実に生きることが人を

も生かすことにつながるという教えとも重なります。 

 

 さらにその背後には、イエス様の姿があります。イエス様は神の子としての

栄光ではなく、十字架の道を歩まれました。それは喜びよりも痛みと苦難の道

でしたが、その犠牲によって私たちは救われ、真の喜びを与えられました。こ

こに、他者のために自らを用いる愛の姿が示されています。 

 

 私たちもまた、自分の正しさや都合を優先していないかを問われています。

日常の中で「明日でよい」と先延ばしにしてしまう弱さを抱えながらも、「何を

するにも神の栄光を現すために」というパウロの言葉に立ち返る必要がありま

す。それは単なる規則の問題ではなく、愛をもって生きる姿勢の問題です。 

パウロは自由そのものを否定したのではなく、それを愛のために用いる道を

示しました。「すべての人を喜ばせるために生きる」とは、日々の小さな選びの

中で、目の前の人を生かすことを願って行動することです。その歩みの中にこ

そ、神様の栄光が現されていくのです。