この聖書箇所は、復活を信じなかった弟子トマスと主イエス様のやり取りを
記したもので、四福音書の中でヨハネ福音書にのみ記されています。トマスは
他の福音書では名前が挙がる程度ですが、この箇所を通して私たちに大切な信
仰の姿を示しています。まず復活の出来事を振り返ると、マグダラのマリヤた
ちが復活の主に出会い弟子たちに知らせますが、彼らはすぐには信じませんで
した。その後、主は不安と恐れの中にあった弟子たちのただ中に現れ、「あなた
がたに平和があるように」と語られます。弟子たちは最初恐れましたが、主の
傷を見て復活を確信し、心に平和を得ました。
しかしその場にトマスはいませんでした。彼は悲しみの中で一人離れていた
のかもしれません。仲間から復活の主を見たと聞いても、「自分で見て触れなけ
れば信じない」と言います。この姿は疑い深いと見られがちですが、情報にあ
ふれる現代に生きる私たちにも通じるものがあります。実際には、他の弟子た
ちも同様に疑っており、トマスだけが特別だったわけではありません。ただ彼
は主に出会うのが遅かったのです。
8日後、主は再び現れ、トマスにご自分の傷に触れるよう促し、「信じない者
ではなく信じる者になりなさい」と語られます。トマスはその御前で「私の主、
私の神よ」と告白しました。彼が実際に触れたかは明記されていませんが、私
は主の傷に触れたことで、イエス様こそ神であると確信したと思うのです。
この出来事は私たちにも重要な意味を持ちます。主の傷は私たちの罪の贖い
であり、聖書を通して私たちは自らの罪と向き合います。その傷に触れるとは、
自分の罪を認め、主に差し出すことです。隠していては癒しはありません。主
は私たちの苦しみや痛みを受け止め、復活の力によって癒してくださいます。
トマスは復活の主に出会い、その事実を伝える者となりました。伝承によれ
ば彼は遠くインドまで宣教したとされます。こうして復活の証しは二千年にわ
たり語り継がれ、日本にまで届きました。私たちもまた、主の赦しと平和を信
じ、その恵みを分かち合いながら歩む者とされているのです。
