パウロは「男は女のかしらである」と語ります。この言葉は現代においても、
男女の上下関係を正当化するもののように受け取られがちであり、実際に歴史
の中でそのように用いられてきました。聖書が書かれた時代も男尊女卑の文化
が強く、キリスト教会も聖職者は男に限定してきたように長く家父長制的な立
場を取ってきたため、男女平等を求める動きとの間に緊張が生まれてきました。
しかし、この言葉を正しく理解するためには、創世記の創造の物語に立ち返
る必要があります。神様は「人が独りでいるのは良くない」として「助ける者」
を造られましたが、これは劣った存在ではなく、対等に支え合う存在を意味し
ます。また、女性が男性のあばら骨から造られたことは支配ではなく共に歩む
関係を示し、「ふたりは一体となる」と語られています。本来、支配関係は罪に
よって生じたものであり、神様の創造の意図ではありません。
パウロもまた、「女は男から出た」と語りつつ、「男も女から生まれる」と述
べ、相互依存の関係を強調しています。さらに「かしら」という言葉も支配で
はなく、「源」や「つながり」を意味し、神様からキリスト、キリストから人へ
と流れる命の秩序を示しています。したがって、この箇所は支配ではなく、神
様の前で互いに尊重し合う関係を教えています。
また、コリント教会では自由の乱用によって礼拝の秩序が乱れていたため、
パウロは自由を他者を建て上げるために用いるよう勧めました。被り物の問題
も文化的背景に基づくものであり、本質は各自がふさわしく判断することにあ
ります。そして何より、イエス様は女性を抑圧するどころか、その尊厳を回復
された方でした。
現代の男女同権の価値は、聖書の創造理解や「互いに愛し合う」という教え
と調和するものです。その平等は対立ではなく、互いを尊び支え合う中で実現
されます。聖書に忠実であるとは、律法主義のように字面だけで理解するので
はなく、イエス様の教えを中心に考えることが重要です。そしてキリストに結
ばれた一つの存在として、それぞれの賜物を生かし、共に教会を建て上げてい
くことが求められているのです。
