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5/3 礼拝メッセージ「食卓の中にも愛」

 この聖書箇所は、聖餐について記しています。聖餐は教会でなじみ深いものです

が、どのような背景で語られたのかを知ることで、その意味はより深く見えてきま

す。イエス様の時代の食卓はとても質素でした。平たいパン、オリーブ、魚、レン

ズ豆のスープ、そして薄めたぶどう酒。そのような庶民の食卓の中で、主の晩餐は

行われました。イエス様は「これはあなたがたのためのわたしの体である」と語ら

れました。教会によってパンとぶどう酒の理解には違いがありますが、共通してい

るのは、聖餐がイエス様の十字架を思い起こすものであるということです。食事は

単なる栄養補給ではありません。「同じ釜の飯を食う」という言葉があるように、共

に食べることは、共に生きることを意味します。しかし、コリント教会では、その

食卓が壊れていました。裕福な人は先に来て豊かな食事をし、貧しい人や奴隷たち

は仕事の後に来るため、食べ物が残っていない。ある人は空腹で、ある人は酔って

いる。その結果、主の晩餐が分裂の場となっていたのです。パウロは、「あなたがた

の集まりは益にならず、かえって害になっている」と厳しく語ります。本来、パン

を裂くとは分かち合うことです。しかし彼らは、パンを裂きながら交わりを裂いて

いました。イザヤ書には「飢えた人にあなたのパンを裂き与えよ」とあります。神

様は形式だけの礼拝を喜ばれません。礼拝を守っていても、隣人への愛がなければ、

それは神様の望まれる礼拝ではないのです。 

 

 これは現代の私たちにも向けられた言葉です。孤独な人、悲しんでいる人、苦し

んでいる人を見過ごしていないでしょうか。パンとは食べ物だけではありません。

時間や優しい言葉、祈りもまた、分かち合うべき「パン」です。イエス様は、弟子

たちだけでなく、取税人や罪人、時には敵対する人々とも食事を共にされました。

そして何より、イエス様ご自身が裂かれたパンとして、私たちのために命を与えて

くださいました。主の晩餐は、その生き方を思い起こす時です。「取って食べなさい」

という言葉には、「あなたもこのように生きなさい」という招きがあります。 

豪華な食卓でなくてもよいのです。小さなパン一つ、言葉一つ、祈り一つを分か

ち合うところに、神様の食卓があります。イエス様の時代の小さな食卓から福音が

広がったように、今日も私たちの教会から愛が広がっていくことを願います。