プレゼントは本来嬉しいものですが、自分の望みと違うこともあります。子
どもの頃、巨人の黒い野球帽を母親にねだりましたが母親が買ってきたのは暑
苦しくないという理由で青い中日の帽子でした。私の落胆は言うまでもありま
せん。このように、神様の霊的なプレゼント(賜物)も私たちの期待と異なる
ことがあります。
パウロは「霊の賜物について無知でいてほしくない」と語ります。当時の教
会では、賜物を巡って誇りや劣等感が生まれ、分裂の原因となっていました。
しかし基準はただ一つ、「イエス様は主である」と告白するかどうかです。どれ
ほど目立つ働きでも、イエス様へと導かないなら本質ではありません。
また、賜物や奉仕、働きには違いがありますが、すべて同じ神様によるもの
です。違いは問題ではなく、神様の意図によるものです。教会は同じ人の集ま
りではなく、異なる者が共に生きる場所だからです。そして賜物は自分のため
ではなく、「全体の益」のために与えられます。賜物は、自分を誇るためのもの
ではありません。自分を大きく見せるためのものでもありません。誰かを生か
すために与えられているのです。目立つかどうかではなく、誰かを支え、教会
を建て上げるかが大切です。
さらに神様は強さだけでなく、弱さや苦しみさえも用いられます。思い通り
でない出来事も、神様のプレゼントとなり得るのです。「大事をなそうとして力
を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと弱さを授かっ
た」と始まる『病者の祈り』と題された詩はそのことを私たちに教えます。だ
から人生に無駄はありません。
最後に、すべては同じ聖霊によって与えられます。賜物は自分で得るもので
も奪い合うものでもなく、神様からの恵みです。私たちは比べたり焦ったりせ
ず、与えられたものを感謝して用いればよいのです。不完全な者の集まりであ
る教会に、神様が働いておられます。今週、自分に与えられた賜物を静かに問
いつつ歩んでまいりましょう。
