ペンテコステという教会の誕生を祝う日に、使徒言行録ではなくコリントの
信徒への手紙を開くことには深い意味があります。パウロは「体は一つでも多
くの部分から成り立っている」と語り、教会も年齢や性格、経験の異なる人々
からなる一つの体であると示します。では、なぜ私たちは一つなのでしょう
か。それは、気が合うからでも考えが同じだからでもなく、聖霊によって結び
合わされているからです。人間の努力ではなく神様の働きによって弟子たちは
一つにされました。教会の一致は人間の作り出すものではなく、神様から与え
られるものなのです。
しかし私たちは時に「自分は必要ないのではないか」と感じます。けれども
パウロは、たとえ自分でそう思っても、体の一部であることに変わりはないと
語ります。逆に「自分の方が重要だ」と考えることも否定されます。体のどの
部分も欠かすことはできず、特に弱く見える部分こそ大切だと言うのです。か
つて不要と思われていた盲腸が実は重要な役割を持つことが分かってきたよう
に、私たち一人ひとりも神様にとってかけがえのない存在です。
主イエス様は多様な背景を持つ弟子たちを愛し、教会を「祈りの家」と呼ば
れました。教会は神様の家族として、あらゆる人が受け入れられる場です。だ
からこそ誰一人として不要な人はいません。また教会は、一人が苦しめば共に
苦しみ、一人が喜べば共に喜ぶ共同体です。それは簡単ではありませんが、聖
霊によって結ばれた者としてその歩みに招かれています。
さらにパウロはさまざまな働きを挙げつつ、すべての人が同じ役割を担うわ
けではないと語ります。私たちは特別な存在になろうとする必要はなく、それ
ぞれに与えられた場所で誠実に生きることが大切です。ペンテコステの日に与
えられた聖霊は、今も私たちのうちに働いています。だからこそ私たちは違い
を超えて一つとされ、互いに愛し合い、祈り合いながら歩んでいくのです。今
週も「自分はこの体の一部としてどう生きるか」を心に留めて歩みたいと思い
ます。神様は必ず、私たちを通して働いてくださいます。
