預言と予言は似た言葉ですが、新約聖書が重視しているのは、未来を言い当てる「予言」ではなく、神様の言葉を人々に取り次ぎ、励ましや慰めを与える「預言」です。預言者とは未来を予測する人ではなく、神様から預かった言葉を人々に伝える人なのです。
その代表がモーセです。モーセは神様の力によって数々の奇跡を行いましたが、その中心は奇跡ではなく、イスラエルの民を奴隷の地から導き出し、神様の民として生きる道を教えることでした。また、イザヤやエレミヤも、未来を語る以上に、「神様から離れている」「弱い人を大切にしなさい」「悔い改めなさい」と、人々に神様の思いを伝えました。未来について語るのも、人を脅すためではなく、「神様に立ち返れば救いがある」という愛の招きだったのです。
ところが、コリントの教会には、不思議な力や奇跡ばかりを求める人がいました。そこでパウロは、人に分からない言葉や特別な力を求めるのではなく、人を励まし、慰め、信仰を育てる預言を大切にしなさいと教えました。
では、どうすれば預言する者になれるのでしょうか。聖書は、神様が一人ひとりに異なる賜物を与えてくださると教えています。預言もその一つですが、まず大切なのは、聖書を読み、神様の愛と御心を知ることです。神様の愛を知るほど、その愛を人に分かる言葉で伝えることができるようになります。それが教会における預言の本来の姿です。
現代では、宗教には人を支え、生きる意味を与えるという良い面がある一方、人を支配したり排他的になったりする危険性もあります。だからこそ教会は、人を恐れさせる言葉ではなく、希望を与える福音を語らなければなりません。「あなたは愛されている」「あなたは一人ではない」「神様はあなたを見捨てない」という言葉は、多くの人を慰め、生きる力を与えます。
イエス様も難しい言葉ではなく、誰にでも分かるたとえ話を用いて神様の愛を伝えられました。教会もまた、初めて来た人にも伝わる言葉で神様の愛を語ることが求められています。私たち一人ひとりも、人を支え、希望を与える言葉を通して、神様の愛を伝える者とされたいと願います。
