7/5 礼拝メッセージ「異言と預言④」

 これまで「異言と預言」について学んできました。異言とはどのようなものかを知るために、異言の賜物を持つ秦野クリスチャンセンターの稲葉基夫牧師に伺いました。稲葉先生は、中学生の頃に異言の賜物が与えられ、祈り方が分からない時には聖霊の導きに従って異言で祈ると語られました。しかし同時に、異言や預言を誤って用いることで教会の秩序が乱される危険も指摘し、聖霊の賜物は教会を建て上げ、互いに愛し合うために与えられたものであると強調されました。

 

 使徒パウロも39節で「預言することを熱心に求めなさい。そして異言を語ることを禁じてはならない」と勧めながら、「全てを適切に、秩序正しく行いなさい」と語っています。初代教会では、賛美、証し、預言、異言など、多くの人が礼拝に参加していました。しかし、それぞれが自分を示そうとして同時に語れば礼拝は混乱してしまいます。オーケストラが指揮者に合わせて初めて美しい演奏になるように、教会でも一人ひとりの賜物が調和する時、神様の御心にかなった礼拝となるのです。

 

 そのためパウロは、異言や預言は「二人か三人まで」「一人ずつ」とし、解釈する人がいなければ黙るよう勧めました。これは人を縛るためではなく、礼拝を守るための知恵です。また、一人の人が「神様から示された」と主張して全てを決めるのではなく、教会全体で祈りながら吟味する姿勢が大切です。教会は共同体として互いに確かめ合うことで健全さを保つのです。

 

 34節の「女性は教会で黙っていなさい」という言葉も、女性を排除する教えではありません。パウロ自身は女性が祈りや預言をすることを認め、多くの女性の働きを称えています。問題は性別ではなく、礼拝中の私語や質問による混乱でした。礼拝が神様に向かう時間となるよう秩序を保つことが求められているのです。

 

 最後にパウロは、「預言することを熱心に求めなさい。そして異言を語ることを禁じてはなりません。しかし、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい」と勧めます。神様は私たち一人ひとりに異なる賜物を与えてくださいました。その賜物は自分を誇るためではなく、互いを生かし、教会を建て上げるためにあります。自由と秩序は対立するものではなく、愛によって結ばれるとき、教会は最も美しく神様の栄光を現す共同体となるのです。